早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第八十六回 手拭い「ふじ屋」の2代目

和裁学校の卒業式の日に(1972) 和裁学校の卒業式の日に(1972)

この写真はね、俺と結婚する前のお母さんが和裁学校の卒業式の日に撮ったの。隣にいるのは近所の手拭い『ふじ屋』2代目のチイちゃんだよ。あそこの手拭いの柄は先代、2代目、それから3代目が自分で描いたものが沢山あるんだよ。俺とチイちゃんは小学校のころからずっと一緒に遊んでいたの。

昔は仕事が終わると毎晩雀荘に行って11時頃まで麻雀をやって、そのあと観音裏に繰り出すのよ。夜遅くなるとあまり店もやってないから寿司屋か、ロッジ明石っていう喫茶店があるのよ。あとお好み焼き屋さんだね。チイちゃんはお好み焼き屋さんに行っても、あんこ巻きしか食べないんだよ。ほかのものもいっぱい頼むんだけどいっさい食べないで、あんこ巻きだけ上手に焼いてるの。そもそもケチケチするのが嫌なんだよね。本当の江戸っ子だから支払いが数千円だと嫌だし、親分肌だから連れていったら自分が払うっていう感じの人なんですよ。それなら私もチイちゃんについて行きたいって? でもね、今はもうどこにも行かないんだよね。

チイちゃんの息子が青年部でさ、ちょこっと出かけるじゃない。そうすると「本当にあいつはどっかに出かけてばっかりだ」って。え?何を言ってるのって感じだよね、前は“おとのさま”じゃないけれど、いつも外にいるから“おそとさま“って言われてたんだよ。高校の時の友達が浅草まで来たり、ボーイスカウトやっていたからその会合とか、あとはこの辺りの友達連中ね。俺もよく呼ばれてくっついていったよ。仲間の車に乗っかってね、志賀高原まで行ったよ。俺はたいして滑れないんだよ。でも一緒にくればいいからって。なんでもやってたね。ボーリングだのスキーだのゴルフだの流行ってるもんは全部やってたの。あの人はね、テニスをやるってなるとウエアから何から全部揃えてね、行きました。おわり。一回だけなんだよ。

そのあとはね、「少し走る」ってジョギング用の靴を買って上から下までウエアも揃えて、それで浅草2丁目から言問橋か吾妻橋まで走りました。そしたらそこで気持ち悪くなってタクシーに乗って帰ってきたの。それっきりジョギングには行ってない(笑)。チイちゃんの奥さんになったカズミちゃんもギターを習うって、ヨーロー堂ってレコード屋があるでしょ、あそこはいろんな教室があって申し込んだんだけど先生が気に食わなくて1回で終わり。もちろんギターは買ってるよ。チイちゃんなんかは1回も弾いたことのないエレキギターがあったんだから。本当に無駄金使いの親分だよね。先代はすごい厳しい人なんだけど、自分がダメっていうこと以外はすごい甘いの。おばあちゃんはもっと甘くて、子供を叱ることがない人だった。正月の忙しい時なんかはうちのお母さんが手拭い屋を手伝って店に入ったりもしてたんだよ。

手拭いの写真も昔は俺が撮ってあげてたよ。ネガを渡しちゃうとどこに行ってしまうかわからないからネガの管理も俺がしてたの。残念ながらその昔のネガはどこに行っちゃったかわかんない(笑)。昔って言えば、ふじ屋のこっち方は昔は車庫だったのよ。そこに軽自動車を入れてたの。先代は出る時は出られるんだけど、帰ってくると電柱があるもんだから入れないの。息子がいればいいんだけど、チイちゃんはいつも出かけているじゃない。そうすると「キヨちゃーん、クルマ入れてくれぇい!」とか俺が呼ばれてね、ふじ屋のクルマを車庫入れしてあげてたよ。